AV女優とアダルトビデオの歴史① AV黎明期
1980年
透けたパンツで陰毛や局部が見える「ビニ本」がブーム。
映像は、ポルノ映画やピンク映画が主流。家庭には、まだビデオデッキ普及しておらず、ソフトも高価だった。
1981年
無修正の裏本がブームに。
日本ビデオ映像より日本で初めてのアダルトビデオ、「竹村祐佳、ビニ本の女 秘奥覗き」「青野梨魔、OLワレメ白書 熟した秘園」が発売される。宇宙企画、VIP発足。
にっかつビデオフィルムズが『生撮りシリーズ』を刊行した。
愛染恭子の『愛染恭子の本番生撮り 淫欲のうずき』が発売される。
1982年
家庭のビデオデッキ普及率が15%を超え、AVメーカーが続出。愛染恭子、美保純、田口ゆかりらが活躍する。
代々木忠監督の「ドキュメント・ザ・オナニー」シリーズがブレイク。
宇宙企画の初期人気作品を多数作り上げた監督小路谷秀樹がアダルトビデオという造語を創出。小路谷秀樹の作品『女子高生素人生撮りシリーズ 美知子の恥じらいノート』や『SM体験 早見純子の場合』『実験SEXデート』などのヒットの影響で、アダルトビデオ市場は「ドキュメントもの」と呼ばれる作品が大半を占めるようになった。
1983年
日本ビデオ協会がレンタルシステムを発表。アダルトビデオという呼び名が定着。
写真集やビデオで八神康子や少女M(田中みお)が活躍。
1984年
宇宙企画の美少女本番モノがヒットする。
竹下ゆかりや田所裕美子が活躍。宇宙企画・田所裕美子の「ミス本番・裕美子」がミリオンセラーに。
ビニ本出版社「アド企画」や、AVメーカー「三和プロモーション」を経営していた西村忠治が、制作監督として村西とおる起用しクリスタル映像を設立。
1985年
第一次美少女ブーム。ヘルス出身の早川愛美、裏本出身の渡瀬クミがAVデビュー。
女子大生AV女優の元祖といわれる、駒大生卒・元ミス駒沢の森田水絵がAVデビュー。
宇宙企画などの美少女本番路線のヒットにより、アダルトビデオの認知度が高まる。
日本初のアダルトビデオメーカー「日本ビデオ映像」が9億円の負債を抱え倒産。
村西とおる『恥辱の女 立川ひとみ』が専門誌「ビデオ・ザ・ワールド」の選評でその年の1位を獲得する。
AV女優とアダルトビデオの歴史① AV黎明期
AV女優とアダルトビデオの歴史② AVバブル期
AV女優とアダルトビデオの歴史③ AV黄金期
AV女優とアダルトビデオの歴史④ AV停滞期
AV女優とアダルトビデオの歴史⑤ DVD全盛期
2009年10月15日